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今のとこBASARAを中心にラクガキブログ
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息抜きの時間に台本全集をちら見ちら見してるんですが
やー大谷さんの夢見がちのかわいらしさがすごくてすごくてこの人まじで甘ちゃんだなーかわいいなーってなってます笑
なんてきらきらしい・・・・・・・・
それと元親のところを読んで、ああここはこうだったからあんな・・・ってなったり
頭いっぱいぐるぐるしますね。
昔の家康との思い出をきれいに大事に仕舞いこんでるようにも思えた。

三成赤ルートエンドについて

注釈の「家康なら立つと思っていた」について
赤ルートの三成は家康が居なければ生きれなかったんだなぁって依存を見た。
実際、武士として生きる人が忠誠を誓う主が討たれれば後追いで自害するのが常だろうけど
その主を討った者を残して死ねるか天下をとらせるものかってことでその憎しみで生き動いたのがBASARA3の冒頭の三成だと思ってます(あくまで冒頭)
でも家康を討った後、死んでいる家康を前に仇討ちを終え歓喜した後の心の中の空虚に気付き
横たわる家康を揺すって「何をしている、起きろ、そして私にもう一度殺されろ」と話しかける
ここで家康なら立つと思っていた三成、家康は何度でも自分の手で殺されるだろうと思っていた三成
この怒りと憎しみと憎悪の激しい感情と共に家康は在るものと三成は思ってたんだな・・・・・・なんか、こう  
家康に限って 命は死ぬ ってことを実際には知らなかった子供のようにも思えた。
その幻想の輪廻で三成は凶に殉じて生きていたわけか・・・・・
本当は秀吉の御為が仇討ちと思って走っていたのに、気付いたら家康への憎悪・執着が己を動かし生かしていた
何度でも殺して生きていようとしてのかなぁと
だって仇討ちが終わったなら思い残すことなく自害なりなんなりして秀吉の後を追えように
三成は何よりも「裏切り」を許すことができない子だから
知らず知らずの内に「秀吉様の為」というものが大義名分となり生きる目的が摩り替わっていた事に対し、自分が秀吉を裏切ってしまったその背徳にも耐えられなくなってしまったんだなぁ。


駄目だ頭が回らないまた書き直すかもしれませんがここまで
家康ならっていうことや家康さんの「一番だと?三成、お前も変わったな」ってところについても掘り下げたいんですが
あとは家康が死んでしまったってことで結局三成の期待を裏切っているっていう三成の勝手な哀しさとか
如何せん三成へ対する私の認識が甘過ぎる気がするのでゲームそのままの三成好きさんがどう思っているのか知りたいところです。
三成の秀吉へ対する心が崇拝とも言えるものだろうから、=武士に結びつけるのに若干違和感があるんですが
豊臣軍は武士の集団だとするとそう思うというか、もっとこねないと。別に秀吉の居ない世への自分の生を望んでない集団だから日ノ本の破滅も関係無いというか・・・(台本全集読んで勉強します)
本当は兄貴のあの時のあれはああだったのかもしれないねってのも語りたいのですがこの辺で
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